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前口上:丸太組み工法舟、WWW洋上を漂流中… 
essay on Web 0001
かつて、文字と図版の集積物である出版物は、編集者によって企画され、著者を人選し、執筆してもらい、あるいは執筆し、必要とあらば撮影・取材を行い、編集・デザインを行なって印刷所に入稿。製本所で本となった出版物は、国会図書館と取次店に「見本」として数部が納品されたあと、書店の棚に陳列され、幸運にも読者を得れば購入されて、その読者の書棚に納まることでパブリッシングの過程を、ひとまず終えた。実にわかりやすい。「私が作ったもの」が今頃、どこに届いているかが、だいたいは見当がつく。トラックバックしなくたって。

ネットの仕組みを発明した欧米人(アングロサクソン)にとってWWWは、海洋のイメージで捉えられているらしい。俺は日本人だが、同意する。どんなに堅牢に構築された大企業のサイトだってなんだって、ウェブページは大海を「漂流する」丸太組み工法舟、すなわち筏である。ときどき誰かが投げ込むアンカーにひっかかって「所在」が知れることもあれば、何日も、その管理人当人にさえ忘れられて、ほっておかれることもある。

昔むかし、CSCWの集まりで通信技術者のボブ・ウェイリーと立ち話して、「通信って不安定ですよね。いつまで経っても」と話をふると、「イエス、繋がるのはほんとに奇跡的(笑)。大波が激しくぶつかって、微細な波のシブキがスコールのように降り注いでくる、巌壁の先端に毎日立ち尽くしているようなものですから」と答えたのが忘れられない。シブキはノイズの例え、ただそのなかのほんの数個の水滴が届きたい、届けたい情報を抱えている。それだけを掴まえて復号化するのが、どんなに大変なことか。WWWが海であるとは、リリカルな比喩だけではないだろう。いつカオスに呑み込まれるとも知れぬオオシケの海を、技を尽くして渡りつき向こう岸に無事届けるというフィジカルなイメージが背景にあるようだ。もっともその時間は大航海時代とは違ってミリ・セコンドの世界ではあるのだが。

なによりもかによりも、ハサミでプッチンすれば海ごと消えるのだ。
この儚さを感じて、俺はときどきハックをやめる。(クラッシャではない)。

そんなフラジャイルなウェブを「墓場まで持っていく」にはどうしたらよいか? 最近しきりに考えるようになっている。

追記:っと、ここでなぜかA・C・スティーヴン監督の『死霊の盆踊り』を思い出した。スティーブンを偲んで、ティム・バートン監督(『バットマン』ほかの)が撮った最高に美しい映画も。というか、『盆踊り』は、バートン監督作品を想起させるための連想フラッグに過ぎないのだろうか? (続く)。

コメント
from: 編集機関   2005/07/06 12:48 AM
偶然にも『バットマン』に始まる、それ風のブログを始めたので。初号バットマン、ティムバートンに繋げる話ですが。

「生きていると感じる」については、銭湯の同じ湯につかっている状態、つまり認識以前の認識があるようで、「ロボットが」という主語性(言葉)が邪魔をするでしょう。「まるで生きているよう」という「まるで」には、「それは生きてはいないはず」という先行的理解があるのであって。われわれ生き物が生き物を感じるのは、同じ湯につかっている状態で十分な、先行ならぬ潜行的理解が大きいと思っています。また、しかっり述べたいと思います。てか、映像は(ブレードランナーみたく)、このへんは楽にやれるでしょう。言葉より。似た映画に「シモーヌ」ってあったのですが、単館上映で終わってしまって。V、DVDもたぶんないでしょうね。アルパチーノだったか主演の秀作です。探してみます。
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